キャスト:キルステン・ダンスト
ジェイソン・シュワルツマン
リップ・トーン
ジュディ・デイヴィス
アーシア・アルジェント
わずか14歳でフランス・ブルボン王家に嫁ぎ、16歳でフランス王妃に即位したマリー・アントワネット(キルステン・ダンスト)。王室のみならず、国民からのプレッシャーを背負いながら待望の世継ぎを生み、公務をこなし、王妃としての義務を全うする一方、心の隙間を埋めるために享楽に溺れた日々…。そして、つかの間に燃えた忍ぶ恋。この上なく優雅に見える暮らしの中で、羨望と嫉妬を一身に浴びながら、王妃として、女として、彼女は何を感じ、何を思ったのか――。革命の嵐にのみ込まれ、断頭台の露と消えていった“悲劇のヒロイン”の心の揺れを優しいまなざしで追っていく。
歴史の教科書に載っているフランス王妃ではなく、一人の平凡な女性としてマリーを見て欲しかったのだろう。
現代的な音楽を使ったのも、マリーが今時の女の子となんら変わらないという事を伝え、観客に親近感を持たせる為の演出だと思う。
歴史的な数々の大事件に触れていないのも、マリー自身がそんなことには全く興味が無かったから!
政治だの経済だの考える暇があったら、可愛いファッションに身を包み、甘いお菓子を食べ、気の合う仲間と遊び呆けていたい。
今時の女の子達と一体何が違うのだろうか…。
何も違わない。ストレスの発散方法まで一緒。
でも何より時代が違った!!
時代の波がマリーを普通の女の子でいることを許さなかった。ただそれだけ。
そんなマリーも子を持ち、素朴で不器用だが深い情愛を与え続けてくれる夫の優しさを知り、次第に真の王妃として目覚めていく。
最後に斬首刑にされたマリーを描かなかったのは何故か・・
それは、マリーが真の王妃として死んでいったからだ。
普通の女の子マリーでいたのは、映画のラストシーンのところまでだったのだと思う。
この作品のコンセプトとしては、王妃マリー・アントワネットの最後は必要ではないのである。
数々のエピソードを叙情的に盛り込めば簡単にお涙頂戴できるものを、敢えてそうしなかったソフィア・コッポラ監督に感心してしまう。なかなかここまで思い切った演出は出来ないと思う。
私はこの映画を通し、マリー・アントワネットが好きになりました。私と同じように、普通の女だったことに共感も持てて。女としての強さを感じられて。
「恋をした、朝まで遊んだ、全世界に見つめられながら。」のキャッチコピーがまた、切なくなる。
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